私と、ジェーン・スーの出会い

「貴様」と呼び止められた夏

何を思ったのか、真夏の炎天下の中、散歩をしていた私。
ふらふらと涼しさを求め、書店に立ち寄ったときのことでした。
せっかく立ち寄ったし、面白そうな本はないかと、涼みながらフラフラしていたところ、ふと、1冊の本のタイトルが目に入りました。

「貴様、いつまで女子でいるつもりだ問題」

強烈なタイトルだ。
「貴様」なんて、ドラゴンボールのフリーザ様の口からしか聞いたことがない!
驚きとほぼ同時に、胸に突き刺さる言葉。
悪いことはしていないのに、何か申し訳ない。
居た堪れない気持ち。あれ…待って、「貴様って、私のこと?」と思わず手に取った。
当時、私には心当たりしかなかったから、タイトルに惹きつけられたのでしょう。買う選択肢しかないじゃないか。
颯爽とお会計を済ませて帰路に着きました。
これが、作家ジェーン・スーとの出会いでした。

女子肯定派と反女子派の戦い

どんなことが書かれているのだろう。
きっと、大の大人が「女子」を称していることに、爽快と切り込んだ話なのだろう…。と、読み始めた。
当時、私は30代も半ば。「女子」というには、かなりおこがましいだろう。という年頃でした。
しかし職場では若い方で、一回り以上歳が離れたお姉様方に、妹かの如く可愛がられ、私は無意識のうちに10代20代のような振る舞いになり、女子感が漂っていたと思われます。(見た目はさておき)

自称女子ではなかったけれど、はたから見ると、ちょっと(いや、だいぶ)痛い女になっていたと思います。
にも関わらず!密やかに冷ややかに「女子」なる存在を疎ましく思う節がありました。
あんなに素直に恥ずかしげもなく「可愛い〜!」とか「女子会〜!」なんて、よくもキャッキャと言えたことでしょう。
そんな場面に出くわしては、冷笑している自分がいました。そう、見事に私は「自分のことは棚に上げて」を体現したのです。しかしながら、私が棚に上げたそれは、不覚にも自分が冷笑していた女子そのものでございました。

こうして、自分の中に「女子肯定 いいじゃないか派」と「反女子 大人なんだから派」の2派閥が生まれました。
女子肯定 いいじゃないか派が「女子の何が悪いんだー!女はみんな女子なんだー!」と唱えれば、
反女子 大人なんだから派が「女子っていうのはなー、女の子供って書いて女子なんだよー!今いくつだと思ってるんだー!」と、なんともおどろおどろしい言い合いをするのです。なんと恐ろしい。(これは私の脳内で行われています)
結局は他人を通して、自分自身に「まだ女子気取りなの?」と問うていたのでしょう。

ジェーン・スーと出会って

そんな調子だった私は「さぁ、ジェーン・スーよ。私の中の女子を一刀両断ぶった斬ってくれ!」と意気込んでおりました。
しかし読み進めると、女子をぶった斬る話ではなかった。これは、ジェーン・スーの中にいる「女子」への否定や葛藤、戒め。周りからの「女」としての評価。
それに自虐を混ぜつつ、向き合う赤裸々な話だ!私とは少し違う形だけれど、ジェーン・スーの中にも、女子への拒否感や嫌悪感があった。
そんな彼女の中にも「女子」が存在していたのだ。

本の中でジェーン・スーは「女子」を、気づいたら彫られていた刺青と例えるシーンがある。
差し詰め私は、その刺青を消してやる!と思いながらも、「女子です〜」と見せてしまっていたかもしれない。
思い返すと、お風呂上がりにバスタオル一丁で外に放り出されたような恥ずかしさも込み上げるが。
私の中の「女子」は、誰にでもひけらかして見せる必要はなくて、見せられる人の前で見せていけばいいのか。と、心が緩む。

年齢とか女子とか女とか。そんなしがらみがあるこの世の中で、何かと心身消耗する社会で生きているだけで、そんな自分を「まぁまぁ頑張ってるじゃん。」と、褒めてあげたくなった。
「女子問題」は続くだろうけれど、少なくとも「女子でいてはいけない」と、葛藤することはなくなりそう。
ジェーン・スーよ、ありがとう。
そしてあの日、あの溶けるような炎天下の中、散歩に出かけてた私よ、
ジェーン・スーと出会わせてくれて、ありがとう。

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